2010年12月27日月曜日

大間原発訴訟いよいよはじまる(2010年12月24日)

 昨年の5月に国の許可が下りて建設が始まった大間原子力発電所、この原子力発電所の建設差しどめし止めを求めた訴訟を、津軽海峡をはさみ対岸20数キロに住む函館市民が中心となって起こしました。
 私も原告の一人として、第1回目の裁判を傍聴しました。
 冒頭意見陳述をしたのは、訴訟の会代表の竹田とし子さん、小笠原厚子さん(大間原発建設地の奥深く建設地から250メートルに居住する)函館市民で会社の社長加藤進さんの3人です。
 3人の陳述は、時間は短くともそれぞれすばらしい内容で、裁判官も被告側の国や電源開発の関係者も圧倒され聞き入っていたように思いました。
 (陳述の内容)
竹田さん・・・・・1986年のソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の例をあげ、24年たった今なお30キロ内は人も住めない。子どもをはじめ多くの人たちは甲状腺ガンなどで苦しめられている。日本の原発もたくさん事故をおこしている。大間原発は、フルモックス(ウランとプルトニュームの混合物モックスが100%)を燃料として、実験もせず商業炉を使用するという大変危険なものである。将来の子どもたちにこんな危険なものを残すわけにいかない。
小笠原さん・・・・2006年に死亡した母(熊谷あさ子さん)から受け継いだ土地の50メートルのところに原発を建設しようとしたが、建設地を移動せざるを得なくなり、250メートルの地点に今建設している。住まいは、有刺鉄線のフェンスで囲まれて「おり」に住んでいるようだ。
 今建設中でももう事故をたくさん起こしている。建設されれば毎秒91トンの温排水などにより貴重な海の資源がだいなしとなる。
将来とも安心してこの大間で暮らし続けていきたい。子どもたちに負の遺産を押し付けないでと訴えました。
加藤さん・・・・・14年前に沖縄から函館に移り住んだ。沖縄の普天間基地は、戦闘機やヘリコプターが飛来し、とてもひどかった。基地を押し付けられているという実感がした。
 函館に来て、自然があり、安心して暮らせるとても住みやすくいい街だと思った。私には3人の子どもがいる。裁判長も確か子どもさんがいると思う。
 将来とも責任を負えない大間原発、子どもたちのためにも止めていただきたい。
 3人の陳述の後、原告代理人の弁護士2人から、日本が火山国であり、また地震国である、そして津軽海峡には、危険な活断層があるといわれている。危険な場所に建設していることが指摘されました。
 裁判終了後、記者会見と報告集会が開催され、裁判の詳しい内容、感想などが議論されました。
 私は、次のような内容で、この2年間議会で大間原発について質問してきました。

① 大間原発のある下北半島は文字通り「原発半島」となっている。(大間原子力発電所、6ヶ所核燃料再処理施設、東通原子力発電所、むつ市にある使用済み核燃料中間貯蔵施設など)対岸の下北半島の原子力施設、青森にあるといっても距離的には、大沼に行くくらい。
② 市が主催して、国や電源開発を呼び、大間の原発について函館市民に納得のいく説明させるよう市長に要求。
③ 市長に、大間原発が建設されることに対する見解を問う。

 函館市民は、ぜひこの機会に函館の海を隔てたこんな近距離に、とても危険なものが建設されていることに関心を持ってもらいたい。函館の将来の存亡がかかっている重大問題です。私も引き続き議会での質問を続けていきます。
 

記者会見と報告会